強迫性障害は「安心」を得るだけでは絶対に治ることはない
強迫性障害は人によって症状が異なるのですが、もちろん共通していることもあるのです。
それは「安心」を得るだけでは絶対に治ることはなりませんし、最悪の場合は悪化することだってあるのです。
ではこれは一体どうゆうことなのか、見て行きましょう!
儀式的な行為をしていますか?
強迫性障害はあなたもご存知の通り、辞めたくても辞めることができない「囚われ」の病気なのですが、
強迫観念が想い出される度にそれを払拭するための強迫行為をしてしまいますよね。
手の肉がはっきりと解るくらい荒れているのにも関わらず手洗いを止める事が出来なかったりする病気です。
その強迫行為を儀式と呼んでいる人もいますが、これは苦痛や恐怖から逃れるためにやりたくないけどやってしまう・・
そんな一連の行為のことを儀式と呼んでいます。
儀式の一連とは
強迫観念が襲って来る→不安や恐怖を避けたいと思う→
手洗いや確認などの強迫行為→安心する→強迫行為をやらないと安心出来なく成る
この一連をまとめて儀式と名称してみましょう。
強迫行為をやれば、安心することはできますよね。あの嫌な胸の駆り立てや心臓がバクバクする感じを避けることはできます。
しかしそれは一時的なものなのです。
あなたも知っているとおり、儀式を繰り返して安心感を得る事が出来たとしてもまた同じように強迫観念が襲って来るようになります。
何度も何度も何度も執拗に強迫行為をやったとしても得られるのはつかの間の、たった一瞬でしかなく不安定な安心感なのです。
それを得たいがためにあなたは心身をすり減らしているということなります。
儀式の邪魔が入ったらやり直し?
いつもやっている安心感を得るための儀式。
その儀式時間は人によって異なるのですが途中で邪魔が入るとまた最初からやり直さないといけません。
これが非常にやっかいで、やり直さないといけないという強迫観念がまた襲って来てしまうのです。
- 50回、トイレの後におしりを拭く
- 2時間シャワーに入る
- あるか、ないかを順番的に確認する
これが儀式の一例です。
儀式が目的化してしまう・・・
日常的に儀式を行っているとそれを成し遂げることが目的化してしまい、もっと症状が重くなってしまうのです。
一時の安心感を得るための手段なのにも関わらず、それが目的化することで強迫行為はより強固なものになるでしょう。
それは時間的にそうですし、その頻度も多く成ることで強迫性障害でより苦しめられることになるのです。
このような儀式の悪化は強迫性障害の根本的な解決方法ではないために余計に辛い思いをあなたはしなくてはなりません。
そんなことを繰り返しているあなたは
- もっと人生が楽しくなくなり辛いものとなる
- 儀式をするための人生を送ることになる
このような悲しい未来しか悲しいですが訪れることはないでしょう。
続き
不安が頭にこびり付いて毎秒辛い思いをした私の強迫性障害の体験談
私も過去にこの病気に苦しめられていたのです。
そんな私がどうやって克服することができたか、ぜひ参考にしてみてくださいね
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